言葉とはなんだろうか
言葉が何かは知らないけど
僕は具体的なものや概念に基本的には音を当てはめて抽象化したものなどが言葉だと思っている。
だから絵とか違って具体的な事柄を表すことが難しい。
設定とか少なくしないと
【???メモ】バンパイヤめありぃ設定箇条書き
- 動物に変身できるバンパイヤ
- 似非方言
- 父親は似非の神様(スレドニ・バシター)
- 母親はアリス
- 処女懐妊で生まれた
- 亜空間に封印されてる
- 死んでも血を吸ったりとかキスとか、つきのひかりで復活できる
- 贋神の力によって現実世界と交信できる
- 交信できるのは贋神を信じるものだけ
- 血を出すのに髪留めを使ってる(2・15)
アリス
- 普通の人
スレドニ・バシター
- 別名”贋神”
- 似非の神様
- クリエイターで世界をつくっている
- ダークアイオーン様や闇の太陽神とも呼ばれている(2・26)
ダークアイオーン
クリエイターの名前であり、闇の真なる神という属性。アイオーンとは時代や世代などの意味を持ち、ダークアイオーンは皮肉として暗黒時代を表すこともある。またアイオーンが永遠を保持するクリエイターであることに由来して、無間地獄のクリエイターであるという説もある。
闇の太陽神
金星、もしくは宵の明星を意味しており、明けの明星ルシファーの堕天に準えて、真なるクリエイターの堕天をも意味する。
クリエイター
創造者のことで何人もいる。
【???メモ】物語の書き方 優しい手法
正直まったく何も書いてこなかった人間に起承転結の四つの書くのは地獄すぎるし三部でも大変だし
ってことで話の流れは結果と原因をトップダウン的に考えている
原因っていうと大げさだけどようは話の経緯
カレーを食べる話をつくりたかったら
カレーをつくるってだけ
カレーを作る話を作りたかったら
なんで作りたいかを書くだけ
けもフレとかまちカドまぞくとかケムリクサとかはそこらへんの結果と経緯のトップダウンもあると思うし
経緯と結果のボトムアップとかがあると思ってる
てか作品の伏線とかの考察を読んで
作者の発言を聞いて
そういう手法がありそうなそんな気がしたから言ってるだけなんだけど
ちなみにボトムアップの手法は入り込まないとできない気がしていて
例えばアイスをほしい話があったとしてもトップダウンの段階だと入り込んでないからまあコンビニにいくかなくらいしか思いつかないんだけど
コンビニに入りこんでみるといろいろ見えるモノがあって
例えばプリンやらお握りがあったりして
そこから選ぶ物語が新たに始まってそれで結果として別にアイスだけじゃなくて他のものも一緒に買ってしまうみたいな結果もありえるんだけど
これは入り込まないと出てこない
ともかくボトムアップの手法は結構難しいんだけど
原因と経緯のトップダウンの方法だったら1+1=2みたいな
優しい足し算的な難易度で書ける気がする
面白いこととは?
面白いこととは気分が上がったことをいうとする。自分をだまして楽しいとしたらどこかに面白い要素を見つけられるだろうか。面白いと思うときに客観性はいらない。興味深いという意味では客観性はいる。それにしたって客観してみるということに夢中になっているのだから、何か夢中になっていると自然に楽しいと感じる気がする。
だいたいの面白いことは立ち止まらないことにある気がする。じわじわとした感覚がずっと続いて、それが永遠性を感じられるほどずっと続く。え、じゃあ炎天下の歩くことは面白いことなんだろうか。その判断は難しい。なぜなら走ることが面白いと思う人と面白くないと思う人がいるように考え方がそれぞれがある。
ただひたすらに行動することを耽溺というのか没入というのかは後々の行動や思考や行動の道徳性や必要性によって違う。ひとまず必要性などは考えないとして淀みなく夢中な行動や思考できることが面白いことであると定義するとなんかしっくりくる。
物語のプロセス?
小説のプロセスを考えるとまず「聞いた話」が必要な気がする。もちろんキャラクターをつくって、作品をつくるというのもあるが、それだって、どっかで聞いた話から別の軸を考えたり、別の結論を出したりする。このように聞いた話っていうのは重要なのだが、実際に書くにはそれだけではだめで「論題」が必要じゃないかと思う。
なぜそう思うかというと、「論題」とは作品の色のようなもので、もし「論題」がなかったらただ色のないコピーになってしまう。もちろんコピー自体も価値はあるが、やっぱり言いたいことがあったほうが面白いと思う。
以下を踏まえて小説のプロセスでは「聞いた話」と「論題」が肝要であるとしておく。
「聞いた話」とは「エピソード」とも言い換えることができる。「エピソード」はどこからくるかを考えてみる。「エピソード」は「エピソード」だろうと思うかもしれないが、それでは前に進まない。
「エピソード」とは特定の人に話すための「話題」であるとする。そのときに「論題」との違いとして「論題」は大衆に対して行うものであると考えられる。そして「話題」は特定の人物に対して行うものである。つまり「論題」と「話題」はターゲットが違うのだ。「論題」を特定の人物に話したら「話題」になるのだと思う。
先ほど「話題」は「エピソード」であるとしたが「話題」は「エピソード」ではない。経験していないお話は「話題」である。経験した話は「話題」ではなく「エピソード」になる。「エピソード」と「話題」の違いはそこにあると思う。
あと自分が気になってるのがどうやって「エピソード」や「論題」をつくるかということ。もし「エピソード」や「論題」が肝要ならば、ない場合つくる必要がある。一番簡単なのは自分がすごく面白いと思うこと、自分が面白くないと思うことを探すことである。しかしこれは経験の浅い人には厳しいものがある…が、人は追体験できる。つまり本やいろいろな話をきいていろいろ面白いと思うエピソードとすることができる。まあただ問題はどうやって面白いことやつまらないことを思うかということだけど。そもそも楽しいことが見つけられない人はどうすればいいんだろうってのはある。
論題
大衆に向かって使う。言いたいこと。
エピソード
特定の人物に話すときに使う。経験した話。
話題
特定の人物に話すときに使う。経験してない他人の話。
物語にはエピソードが必要である。
エピソードをつくるには
つまらないものや面白いものを見つける。
文章の下書きについて
作業を分割することで作業力を分散できる。作業の時間は増えるかもしれないけど、0を1にする作業よりも0を0.1にする方が10分の1にする方が負担は少ないと思う。文字を書く場合、この表現あってるのかなとか考えるのがめんどくさいので迷いは迷いとしてすべて下書きとして残すことで作業の回転を上げる。
そして単純な文章の間違いはともかくとして、意味的な迷いはわりと構成を捉えるのに役立つかもしれない。(ごちゃごちゃはするけど)
例えば絵を描くときに迷い線を残すことで形を捉えやすいなるみたいな感じで
どうなんだろう