バンパイヤのメアリー

僕は大叔母の遺産で大学に入り、イギリスの大学で歴史を専門に勉強をしている。僕は昔から大叔母の影響で同性愛を否定し、迷信を馬鹿にしてきた。しかしそれが却って僕の興味を増長させたのはいうまでもない。いまでも同性愛や迷信には否定的で非科学的だとは思っているけれど、それでもミステリーやロマンを忘れることはできない。それが僕の思想だった。

メアリー・ヴィーナスという女がいる。彼女とは大学の友人という関係だ。僕は医者だったが、祖国のオリエントの文化に憧れて、文化史を学ぶことになった。最初は知り合い程度だった。彼女との関係が変わったのはここ数か月のことだ。
「私はメアリー・ヴィーナス、ただの詩人ですわ」
彼女との出会いはそんなあいさつからだった。
「ヴィーナスさん、オリエント出身ですよね?じゃあ同じですね?」
「はい、え?同じオリエントの出身なんですか?あははっ」
「ええ、母親がイオニア諸島に住んでいて本当に小さい頃は住んでいました」
「お母様のご出身がイオニアなのですね!」
先生が同じだったり、図書館で同じだったりしたので、僕はなんとなく話しかけてみた。すると彼女はすごく話しやすく、いつも笑顔で、それでいて気品に溢れていて、何より僕の同郷の出身であることが僕の中での親近感を上昇させた。

でも当時の僕は嫉妬ばっかりだった。僕は創作をしていたが、創作に工夫を凝らしても身近には天才があふれているからであのヴィーナスに対しても同じだった。彼女は当時から校内では有名な詩人であったと思うんだけど、当時の僕はまったく知らなかった。それは僕が無知であると同時に彼女自身が「そんなのどうでもいいよ」とでもいうように鼻にかけないからだ。でもその素行をみたときに尋常ではないことはよくわかった。何しろ社交とは無縁そうな詩人のくせにすごく社交的で誰でも分け隔てなく、まったくこだわりがなく、表情はその人間に合わせて、適切に、目まぐるしく変わっていく。それでいて詩人としての素晴らしいのだ。パーフェクトなのだ。

詩人にしろ小説家にしろ同性愛者にしろ思想家とは芸術家とは拘りで人を苦しめるべきで、社交と芸術は相いれないべきなのだ。
「君の詩には同性愛的なものを感じるね」
「それがどうしたんですか?」
「君はそれが罪悪感とか、逆にそういう常識を社会を変えるべきとかそういうことは思わない?」
「うーん…よくわからないけど、それが私の性癖だから否定されるなら反論しますが、みんなそれぞれ考えて生きてるのでしょう?」
素晴らしい高説である。他人を否定しない。僕がどんなに必死になっても子供の蟻を戯れで殺すがごとくに目の前の人間をあしらわれたら敵うわけがない。しかし彼女の瞳にはとりつくった態度と表情とは相いれない並々ならぬ強い意志というか欲望のようなものが見えた。この奇妙な違和を感じたとき、僕は彼女から身を引くべきだった。今更後悔するには遅いのだが、そう思えて仕方がない。

 

 

ここまでしか書いてない。だいぶ前に書いたやつ。