しりとりみたいな文章

文字の遠近法ってなんだろうというのをテキトーな考えで考えるとき、それは実際の遠近ではないと思っている。
なぜかといえばそれは実際の遠近になったら、それはもはや文章の遠近ではなくて、絵の遠近を文章で表現したにすぎないから。

文章の一要素とは「っぽいこと」。
「っぽいこと」とは言葉を発する人が言いたいことを表している。
そもそも言葉とは絵的なものを直接表すことはできない。絵~言葉の間には抽象化が行われている。そうなると、絵的な視覚的な確からしい言い回しはできないので、「っぽく」話すことしかできない。

からしい言い回しができないならどうやって文章の遠近法を考えるか。
まず認識として僕は、遠近法っていうのは観察によって現実世界にある、遠近感を表現するためのルールであると思ってる。だからやるべきはルールをつくるべきだと思う。

僕は思ったことがある。
前にけものフレンズを文章のデッサンみたいなことをしてみたときに、けものフレンズの冒頭はすごくシーンの繋がりが感じられたことがあった。
サバンナの空撮から、アカシアの木が並んでるところに入り、アカシアの一本にクローズアップして、そのアカシアの幹にサーバルが寝ている。
冒頭のサバンナの空撮の流れからサーバルが寝ているところはゲームの冒頭でステージをみせるみたいに滑らかな見せ方になってる気がする。
文章も同じよう被写体をずらしながら、表現することで流れをつくることができる。

例えば「私たちが住んでる星は地球である。地球は何十億年前に生まれたが、私たち、人間はその歴史からみれば最後の方だ。しかし人間は文明を発達させてこの地球の歴史を解明してきた。この解明する力すなわち科学の力こそ、人間の最大にして最高の強さである。」

的な風に「AはBだ」「BはCだ」「CはDだ」としりとりのように(尻だけとは限らないが)書くと、被写体をずらしながら視線を切らせない、だから流れが滑らかにみえるような文になる。
こういう風にある程度のルールに従ってつくるのが文章の遠近法な気がする。