センスティブを日誌に落とし込みたい

ツイッターは僕の場合、最近起きた事について考えるときに使うことが多い。

 

最近だとジュラシックワールドをテレビでやってたときに、

前にチバニアンという地層が決定されたという話を聞いていたので、

「チバニックワールドという施設があったら面白そうだなぁ」という思いついた。

 

この話題自体は平和なことしか呟いてないが、センスティブな話題に対しても似たような感じで思いつきで呟くことがある。

思いつきがセンスティブになるのは嫌だ。

正確に言えば軽い気持ちで書いたことで「この人なんでこんな怒ってるの?」って思われるのが嫌だ。

どうしてもセンスティブになりそうなときは一旦呟いた後に消すことが多い。

 

それはあまりにも非生産的だ。

そんなことするくらいなら日誌とかに書き込んだ方がましだ。

でも日誌を書くのは苦手である。

 

おそらくツイッターは僕の日常の動作の中に組み込まれており、

逆に日誌は僕の日常の中にないので辛いのであろう。

 

でもどうにか日誌みたいな媒介に落とし込みたい。

そうすればいちいち他人の目を気にせず考えることができる。

バンパイヤのメアリー

僕は大叔母の遺産で大学に入り、イギリスの大学で歴史を専門に勉強をしている。僕は昔から大叔母の影響で同性愛を否定し、迷信を馬鹿にしてきた。しかしそれが却って僕の興味を増長させたのはいうまでもない。いまでも同性愛や迷信には否定的で非科学的だとは思っているけれど、それでもミステリーやロマンを忘れることはできない。それが僕の思想だった。

メアリー・ヴィーナスという女がいる。彼女とは大学の友人という関係だ。僕は医者だったが、祖国のオリエントの文化に憧れて、文化史を学ぶことになった。最初は知り合い程度だった。彼女との関係が変わったのはここ数か月のことだ。
「私はメアリー・ヴィーナス、ただの詩人ですわ」
彼女との出会いはそんなあいさつからだった。
「ヴィーナスさん、オリエント出身ですよね?じゃあ同じですね?」
「はい、え?同じオリエントの出身なんですか?あははっ」
「ええ、母親がイオニア諸島に住んでいて本当に小さい頃は住んでいました」
「お母様のご出身がイオニアなのですね!」
先生が同じだったり、図書館で同じだったりしたので、僕はなんとなく話しかけてみた。すると彼女はすごく話しやすく、いつも笑顔で、それでいて気品に溢れていて、何より僕の同郷の出身であることが僕の中での親近感を上昇させた。

でも当時の僕は嫉妬ばっかりだった。僕は創作をしていたが、創作に工夫を凝らしても身近には天才があふれているからであのヴィーナスに対しても同じだった。彼女は当時から校内では有名な詩人であったと思うんだけど、当時の僕はまったく知らなかった。それは僕が無知であると同時に彼女自身が「そんなのどうでもいいよ」とでもいうように鼻にかけないからだ。でもその素行をみたときに尋常ではないことはよくわかった。何しろ社交とは無縁そうな詩人のくせにすごく社交的で誰でも分け隔てなく、まったくこだわりがなく、表情はその人間に合わせて、適切に、目まぐるしく変わっていく。それでいて詩人としての素晴らしいのだ。パーフェクトなのだ。

詩人にしろ小説家にしろ同性愛者にしろ思想家とは芸術家とは拘りで人を苦しめるべきで、社交と芸術は相いれないべきなのだ。
「君の詩には同性愛的なものを感じるね」
「それがどうしたんですか?」
「君はそれが罪悪感とか、逆にそういう常識を社会を変えるべきとかそういうことは思わない?」
「うーん…よくわからないけど、それが私の性癖だから否定されるなら反論しますが、みんなそれぞれ考えて生きてるのでしょう?」
素晴らしい高説である。他人を否定しない。僕がどんなに必死になっても子供の蟻を戯れで殺すがごとくに目の前の人間をあしらわれたら敵うわけがない。しかし彼女の瞳にはとりつくった態度と表情とは相いれない並々ならぬ強い意志というか欲望のようなものが見えた。この奇妙な違和を感じたとき、僕は彼女から身を引くべきだった。今更後悔するには遅いのだが、そう思えて仕方がない。

 

 

ここまでしか書いてない。だいぶ前に書いたやつ。

アニメ感想文や動画が書きたい

ゆっくりのレビュー動画とか解説動画とかみるのが好きなので、

そういうのをつくってみたいし、書きたいなって思う。

 

でもできないと思ってしまう理由が三つあって、一つはメタ認知が暴走して他人に変な先入観を与えたくないなとか思っちゃってできない。

もう一つは知識とか具体的な例とかが貧困だし、無駄に攻撃的な部分があるので批判されそうで怖い。

あとは一つはつくるのがめんどくさい。

 

とはいっても批判とか他人の影響とかの二つに関しては多くの人がみないと成立しないので、今現在、過疎ブログを書いてる身としては自意識過剰だなと思ってる自分もいる。

我ながらめんどくさい。

しりとりみたいな文章

文字の遠近法ってなんだろうというのをテキトーな考えで考えるとき、それは実際の遠近ではないと思っている。
なぜかといえばそれは実際の遠近になったら、それはもはや文章の遠近ではなくて、絵の遠近を文章で表現したにすぎないから。

文章の一要素とは「っぽいこと」。
「っぽいこと」とは言葉を発する人が言いたいことを表している。
そもそも言葉とは絵的なものを直接表すことはできない。絵~言葉の間には抽象化が行われている。そうなると、絵的な視覚的な確からしい言い回しはできないので、「っぽく」話すことしかできない。

からしい言い回しができないならどうやって文章の遠近法を考えるか。
まず認識として僕は、遠近法っていうのは観察によって現実世界にある、遠近感を表現するためのルールであると思ってる。だからやるべきはルールをつくるべきだと思う。

僕は思ったことがある。
前にけものフレンズを文章のデッサンみたいなことをしてみたときに、けものフレンズの冒頭はすごくシーンの繋がりが感じられたことがあった。
サバンナの空撮から、アカシアの木が並んでるところに入り、アカシアの一本にクローズアップして、そのアカシアの幹にサーバルが寝ている。
冒頭のサバンナの空撮の流れからサーバルが寝ているところはゲームの冒頭でステージをみせるみたいに滑らかな見せ方になってる気がする。
文章も同じよう被写体をずらしながら、表現することで流れをつくることができる。

例えば「私たちが住んでる星は地球である。地球は何十億年前に生まれたが、私たち、人間はその歴史からみれば最後の方だ。しかし人間は文明を発達させてこの地球の歴史を解明してきた。この解明する力すなわち科学の力こそ、人間の最大にして最高の強さである。」

的な風に「AはBだ」「BはCだ」「CはDだ」としりとりのように(尻だけとは限らないが)書くと、被写体をずらしながら視線を切らせない、だから流れが滑らかにみえるような文になる。
こういう風にある程度のルールに従ってつくるのが文章の遠近法な気がする。

能力主義と変身

変身とは秩序からの逸脱
または秩序への大げさな適応にある

大げさな適応とは依存に近く本人の意思とはほぼ関係なく進行する
変身の一般的なメカニズムは解明されていない

責任によるストレスによって変身することもあるため、才能のあるものまたは、責任を任されやすい管理職などの人間が変身するのだという誤解もあるが、実は変身症状の大部分が原因がはっきりとしていない

館の妖怪人間

バンパイヤ
動物に変身できる
生殖能力をもっていない
魔術的な催眠術ができる
暗い

カミキリ
犬に変身できる
生殖能力をもっている
明るい

プロメテウス
つくられた人間
変身できない
生殖能力もない
力が弱い
催眠術できない
明るいと暗いときの波がわりとある

 

なぜか、寿府院という館に住んでる三人。

あらすじとキャラクター

ジョン・アダム・シェパード
若い医者、ヴィーナスと意気投合し、ロンドンからお互いの生まれ故郷であるギリシャを目指す。
ジュアナ・イブ・シェパード
ロンドンの裕福な家に住む娘。ヴィーナスに恋をし同類になる。
メアリー・ヴィーナス
詩人ヴィーナス。生き血を糧とし、他人の金をむしり取って、肉欲にふける。噛んだ相手を同類(バンパイヤ)にする。

「バンパイヤのメアリ」
大叔母の影響で同性愛を否定し、迷信を信じないアダム。シェパード家の二人は親を失い、一緒に暮らしていた後見人の大叔母と暮らしていた。二人と大叔母は両親の遺産でそれなりに裕福な暮らしをしていた。そこへ近頃イギリスにやってきたという詩人ヴィーナスと出会う。
2人はヴィーナスとアダムの生まれ故郷のギリシャに向かって旅することを決めるが、ヴィーナスが共通の知人の娘を誘惑したことからローマにたどり着いた直後、仲違いし、ジョンは一人でギリシャを旅する。そこで彼は宿屋の娘イアンテと恋に落ち、数か月間、彼女からバンパイヤの伝説を聞く。しかし出歩いてはいけない夜に、出歩いてしまったがために、イアンテに角が生えてバンパイヤになってしまう。街の人々はそれが邪悪なバンパイヤの仕業だと信じている。そこにヴィーナスが現れる。ヴィーナスは知人のことについて悔い改めたといって、ジョンと仲直りして再び共に旅を始める。ジョンはこの一件が、偶然にヴィーナスが同地を訪れた直後に起こったことの関連性に気づかない。旅の道中で2人は強盗に襲われ、ヴィーナスが致命傷を負ってしまう。死に際にヴィーナスはジョンに対して「君は私や私の死について語ってはいけない」と約束を立てさせ、「もし語ったらその人はバンパイヤになる」といって脅し、彼が同意したのを確認するとにやりと笑って息絶える。

ロンドンに帰ってきたジョンであったが、そこにヴィーナスが現れ驚く。彼は健在であり、新しい身分で無事に過ごしている。ヴィーナスはジョンに誓いを確認させたうえで、彼の妹を誘惑し始める。妹イブを守るには無力なジョンは神経衰弱になってしまう。やがて回復するも、今度はヴィーナスと妹が結婚することを知らされる。ジョンは自分の身に何かあってもいいように、結婚の日に届くよう妹への警告の手紙をしたためる。しかしジョンは結婚よりも前に心労によってジョンが倒れ、手紙も間に合わなかった。ヴィーナスはジョンを閉じ込めて、ヴィーナスは予定通りイブと結婚する。その初夜のときにイブはバンパイヤになる。

ジョンはイブを戻してくれという。ヴィーナスは全財産をくれたら考えてやるということで、ジョンは全財産を与えるが、イブはヴィーナスに本気で恋をしてしまったために、もう戻る気はなかった。ジョンは外に出ることができたが、イブとヴィーナスは全財産を奪って失踪する。

 

改変元 吸血鬼 (ポリドリ) - Wikipedia

二次創作 サンハテナ